晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

「死」という最大のGift

逃れられぬ希死念慮

私の根底には希死念慮の川が流れています。

人に見せる為のものではないし、
わざわざ見せる事は殆どないですが、
洪水を起こして自分の足で立っていられなくなると
うつ病の様な形で目に見えて苦しくなってくる事があります。

ここ数日、特に希死念慮が強く
とにかく「死にたい」ということしか考えられないので
それでも「生きている」現実がある事、
「生きている」を遂行しなければならない事が生き地獄でした。


ところで、人は必ず死にます。

この世に神がいてもいなくても、
大金持ちでもホームレスでも、
生きたいと願っても死にたいと願っても、
100% 必ず 死にます。

死にたいと願った時に死ねるわけでもなく、
これから頑張ろう!という時に死ぬ事もあります。

どうしようも出来ません。
誰も抗う事は出来ません。

「あなたは必ず死にます」と宣言されて、
誰一人として否定する事は出来ないと言い切れます。

「死」こそ、どこの国の誰にとっても、
唯一の確固たる尊い「真実」そのものです。

目を背けても「真実」は変わらない為、
「必ず死ぬ」事を受け入れざるを得ません。

幸せをゴールにするのがおかしい

「幸せになりたい」と願う事は
人間である以上当たり前の様な風潮がありますが、
どんな人間も終着点は「死」である事が明らかであり、
ゴールは「幸せ」ではなく「死」です。


言葉は心を作ります。

死があるから生を意識出来る様に、
幸せという言葉があるからこそ不幸という心が存在します。

つまり「幸せになりたい」と思えば思う程、
現在の不幸を助長させるのです。

人類みな平等

「人類みな平等」

どう思います?
何度も挑んだ論点ですが、この言葉を証明する事は出来ませんでした。

それが解せたわけですが、
記事のタイトルからお分かりの通り
「死」こそ全ての人類に平等であるという事です。

希死念慮が強い時こそ、
「死」のぬくもりを感じ、
「死」の声が聴く事が出来ます。

選り好みしない心、
すべてを溶かし薄めゆく緩やかさ、
何があっても崩れない強大な力。
それは我々人間にとって母であり、海であり、
最後に必ず平等に包み込んでくれる事が約束されている大いなる存在です。

「死」は優しく尊いものです。
死を求めて叫びもがかなくても、
我々には「死」が約束されているのです。

以前の記事で、
自分以外から決められた事をそのまま受け入れる事、
決まっていると思い込むという事は大変「楽」だと書きました。

楽を選択しない人生において、
「死」に関しては明確に真実である事が分かっている以上、
選択せずとも受け入れる他ないものです。
つまり受け入れる=楽な選択をせざるを得ないと言えます。

「死」だけは、100%の受容を許してくれる唯一の存在であります。

我々のゴールに「死」が約束されている事、
それこそ揺らぐ事のない最大のGiftです。

ちなみに悲観していません。
人生は儚くて尊くて死にたくなる程に好きです。

あと、「幸せ」という言葉を使うなら、
「なりたい」という活用は存在しないと思った方が良いかな。

「生」や「幸せ」については、先人から学ぶ事が出来ます。

一方「死」については、自身でGiftを受け取る決意をしなければ暗い闇であり続けます。
「死」の方から教えてくれる事はないのだと思います。

今日はそれに気付けてよかった。

おやすみなさい。