晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

永遠はおそか昨日言った事も分からない

言語化すると思考が終了する

日記でもブログでも、
誰かに送ったLINEでも手紙でも、
何でもいいから毎日何かしらの言語をアウトプットしていると思います。

言語化したものは
その瞬間のみ有効で、
その瞬間伝えたかったことであって、
その瞬間だけ真実だと思っています。

過去に書いたもの(昨日書いたものであっても)は
既に思考終了している為、
もうその時の思考は分からなかったりする。

先週言ってたアレとか言われても
もう今は違う考えかたに落ち着いている場合は往々にしてある。

私が誰が見てるか分からないブログを
チラウラ代わりにして適当に書いているのも、
後々見た時に、既に捨てた思考の残骸を溜めている様なもの。

私個人としては、もう何の意味もない言葉だと思っていても、
時を超えて数年後にぴったりフィットする人が存在する可能性がある。

基本的に言語は本人からは瞬間的に分離されるが、
残骸が長期的に効果を示すことはあるのかなと思います。

世界五分前仮説

世界五分前仮説というものを聴きました。
「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説なのですが、
これを否定する事は証明できていないのです。

つまりさっき食べたご飯も
昨日会ったあの人も、
そういった記憶があるだけであり
実際にはそのような事は起きていない可能性があるということ。

これは極端ですが、
言葉もそんな様なものだと思います。

真実は常にこの瞬間にしか現れないのです。

だから、
私はいつでも目の前に居る人が大事だし、
その瞬間の心が大事です。

この前、親に聞かれました。
別れた人の中で、
結婚しておけばよかったって今になって思う人はいないの?

勿論いません。

そんなこと考えた所で真実はこの瞬間にしかありません。
過去の人を愛する事は出来ません。

誰だっていつも、その時の一番大事な人でした。
思い返しても、その時はもう真実ではないから。

おやすみなさい。