晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

尋常ではない程ルールに縛られる人々

我々は操り人形の様なものだ。

部屋の中の鳥かご。
時々部屋の中を飛んで
あたかも自由を得たかの様に錯覚するが、
鳥かごから出た場所は
外部と隔離されたルールという部屋の中なのだ。

子どもから学ぶ現代の闇

最近1歳~3歳位の子どもと接する機会が連続してありまして、
どんな高尚な本よりも子どもと接することが一番の学びであると感じました。

同じ場所に生きながら、全く違う世界観を持つ子どもたち。
大人がいかに意識の鳥かごに固執していることか。

作られた法則の外側

身の回りの法則、常識、全て作られたものです。
そしてそれを頑なに信じ、
共通認識に甘え、外側を見る事をやめている。

お金持ちになりたいと言うが、
貨幣こそ作られた法則そのものであり、
共通認識が崩壊すれば何の意味も持たない。

最近ではビットコインの例は分かりやすい。

いつ崩壊するか分からない認識を
いつまでもあるものと互いに思い込む事で成り立っているのが現代社会。

それが悪いわけではないし、
ルールが回っている間はルールに従う必要がある。
ただ、ルールが世界そのものだと思っていると
たちまち知らない世界になってしまう事がある。

ぬるく脆い肌を晒し

子どもから学ぶ話に戻るが、
私が幼い頃は人間の体の柔らかさ、脆さに愕然としていた。

少し擦れば血が滲む様な薄い肌、
鋭利なもので刺せばその場で命が消えてしまう。

落ちたら割れる卵の様な儚い存在でありながら
何故そんな偉そうに威張っているのか。
本当によく分からなかった。

また、様々な思想があり、
思想は自由であると謳われているにも関わらず
不思議と皆鳥かごから出ないのだ。

こんなに脆い肌を持ちながら
大量の人間が生き長らえるのは
大変素晴らしい信者の集まりだと感心したもの。

物凄く行き届いた訓練がなされた団体だと思いませんか。

この辺りから何故人間は洗脳されるのか、
と疑問を抱いていた。

自由な場では自由について討論されない

服従しながら威張っているのが人間。
自らを縛りながら、奢り続ける矛盾した世界。

先日子どもを見ていて、
自分自身が感じていた違和感すら手放してしまっていることに気付いた。

皆大人になる前は子どもだったくせに
何もかも忘れてしまうんだという恐怖。

私だけは今の感覚を必ず思い出す、と覚悟した事。

小さい子ども程、大人より物知りなのだと今更思い出しました。

外側を観察する為に必要なのは、
きっと 思い出す ことなのかも知れません。

これからを作る前に、思い出す。
思い出す作業は繊細な作業。

思考が間に入ると全く違った都合の良い解釈が成されてしまうから。