晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

過去にする覚悟を持つということ

前回、言葉にすると破壊する可能性を露出する、という様なことを書いた。

こうやってブログに記すということはつまり、
もう誰かに破壊されても仕方ないし、
わたしのものでもないし、
そもそも存在しなかったとしても仕方ないという覚悟があるわけなの。


それでも残しておきたかったり、
はみ出してしまって書かざるを得なかったり、
寧ろ破壊して欲しくて「さよなら」の代わりに言語化していることもある。


何が言いたいかというとね、
言葉にするということは「過去にする」ということなんだよ。

表現するということは「過去にする」ということなんだよ。

その覚悟があるかって問いたい。


わたしたちは「過去にする」ことをしないと、
心の中の過去にすがってしまうんだよ。

ちゃんと現実的に「過去にする」をしていかないと
過去と現在と未来が入り混じって、
自分の心の中の世界がブラックボックス化してしまうの。

すっかり何を考えているか分からない。
人のことも分からない。
経済活動の歯車として、
人の形をした濁流の中の一部として命を終えたくないならば。


「過去にする」という覚悟を持つこと。


一度発した言葉に責任を持たないように。
過去に責任など持てないのよ。


今を丁寧に表現するしかないの。

それが儚く消えてしまっても、
破壊されてしまっても、
その瞬間を輝かせてね。

輝かないと存在は認められない。

暗闇の中で、暗闇の一部であるわたしを
際立たせようとしても意味がないでしょう。


「過去にする」ということは
「死ぬこと」と繋がっていく。

「過去にする」覚悟を持てば
「死ぬこと」がこわくなくなる。

最終的に死を意識しなくなると過去を意識しなくなるんだ。


ものすごく幸せな話をしてるってこと、
気付いてもらいたい。

眠っている内に命が終わっちゃうよ。