晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

過去の風読みから北極星の永遠読みへ

昔から恋人に「好き」が言えない人だった。
言葉にするほどの責任が持てないから。

確かにこの瞬間、彼のことが大好きで、
愛おしくて ずっと一緒にいたい気持ちがあるのに、
自分の心も感情も、とても信じられるものではないから。

たった今この瞬間の真実でも、
伝えることで明日の鎖になったり、
あたかも「今後も永遠に変わらない」という解釈がなされたりする。

そういうことがこわかった。

この瞬間の感情を伝えることの無責任さ。

自分の外に出ることでほんの少しずれていく誤解。
明日わたしとあなたの気持ちがほんの少しずれていく解離。

今だって
本当に「感情」なんてものほど
不明確で実態のないものなんてないと思っている。

行動が制限されるほどに胸をかき乱す感情も
後から考えるとその場で自分だけが回転して
目を回している程度のものだったりするし。

だから、わたしが感情を言い表すのは大体過去形になる。
あの時こう感じたとか、
今感じたことを口に出したって、
風は通り過ぎているのだから過去形にしかなりえない。

感情はエンターテイメントだなあ、と思う。

アトラクションに乗った感想みたいなもの。
映画の感想を言うみたいにお話するのは楽しいけれどね。
風の色を読むようなものに過ぎない。
だって、1年後に同じ映画を見ても全く同じ感情は味わえないもの。


もっと本質だけを口にしたい。
口にするものは揺らぎのないものだけにしたいと思ってきた。


2018年はStartであったけれど、
とても内省的で、水面下の戦いで、
外に助けを求められないヘビーなものだった。

ひたすらに自分の中に発生するものを全て受け止めようとしたし、
それが幻なのか真実なのか感触で振り分けてきた。

揺らぐものと揺らがないもの。
刺激から発生したものと起点がないもの。

本質とは何か。
真実とは何か。
幻との違いは何か。


命の炎が燃える様を見る度、
急がなくては 時間がないから と涙を背後に飛ばしながら走った。

死ぬ前に、命がある間に、
最後まで見たいし、そこにある全てを受け止めたい。
何も触れられなくなる前にどうにか、と。


その中で、いつも見ようとするとただ同じ様に在るものがあった。

今を逃すとどこかへ行ってしまう風読みの感情と違って
本質はいつどこで観察しても全くブレない北極星の様なものの様だ。

どんなに走り抜けても
わたしは本質に近づくことも離れることもしていなかった様だ。

色も形も温度も何も変わらずただ在るから、
命のタイムラインと違う場所に彼らは存在している様だった。

それは明日は形が変わってしまうものなのかと判別する必要はなく
一瞬見ただけで永遠と分かる。

自分の命に対しての感謝と
自分以外の命に対しての愛は同時発生することを知った。


久々にこの言葉を使うのだけど、
「コヒーレント」

完全な干渉。
置いてきた伏線を回収。


2019年はダイナミックに永遠だけを表現したいな。
在る を やる。