晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

背後が正面になるまえに

「善悪」なんて
あるのかないのか知らないけど、

もしあるんだったら

「悪気はなかった」とか
「よかれと思って」とか言って

泣いてる人を
傷ついている人を

視界に入れない人が
一番闇深い。


・・・


人の目は正面についてるから、
背後で傷ついて泣いている人がいたとしても
目の前の世界に闇はないのかも知れない。

それはその人にとって
確かに事実だけど、
事実ほどの幻想ってないよね。



振り向こうと思えば
振り向ける肉体を持ちながら、
振り向かない選択をしているのは確信犯だし、
振り向こうとも思いませんでした、の方がもっと確信犯だよ。



振り向いたら見えてしまうけど、
その見えたものも幻想だけど、

気づきそうになる前に
ブラックボックスにしておく事で
自分の心地いい場所を探す人、
何も進んでないよ。



例え今、
目の前の世界に自惚れていても

世界は少しずつ回転していて、
自分が一番嫌なタイミングで背後が正面になるわけ。

それが正面になったとき、
もう君は振り向けないでしょ。

全部が背後になってしまう世界。


・・・


だから、
思いもよりませんでした、なんて
決して言わない様に生きないとね。

思いもよらないって、
まるで他人事だけど、
思いをよらせるのは自分自身しかいないじゃない。

じゃあ、一体誰が
君に思い立たせるんだろう。


・・・


逆にね、
悪い事をしてるなあとか
この事で誰かを傷つけてるなあとか
感じながらそういう事をしてる人、

わたしはすき。



自分の見る幻想を
幻想として認識できてる人は
白を見るも黒を見るも一瞬だから。

今つらくても
そうなった「根拠」が「理由」が
どこかにあるんだと思う。

今誰かを傷つけていても
それを認識できるのは
その傷が自分にも増えている事を
自覚出来ているからだと思う。



背後が正面になる前に、
ちゃんと自分で振り向こうね。

その為に首は可動できるし、
人間は想像ができるんじゃないのかな。

自分で振り向けたら、
誰かが抱きしめてくれるし
「だいじょうぶ」って言ってくれる。

ぜったい。


・・・


どこかがおかしいのに
「悪気はなかった」
「よかれと思って」
って言ったら
何もかも終わりだと思うよ。


きれいな世界をみるために
背後を正面にするのは自分でしょ。

ちがうの?