晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

ループと境界

激動の1年が終わろうとしている。
あなたの1年はどうでしたか。

それは終わるもの、だけど続くもの。
死んだ私は蛇の様に終わらない。

以前、死はGiftという記事を書いたが
死と向き合わないことは問題の先送りである。

保留にするというのは負荷をかけ続けるということ。
不要な負荷をかけ続けるから
本質に迫る為のパワーが残らない。

元々我々は死んでいたのだ。
生まれるという概念は前提に死があるのは明確。

必死に駆け続けて、
気付けば同じ場所をループしていないだろうか。
大抵の人間はループしている。

考えてみれば、
あなたにとっての問題は過去と変わっていないはず。
姿が変わっていても本質は同じである。

大事なことは、
ループしているということに気付くか気付かないか。

決してループから逃げ出そうと思ってはいけない。
寧ろ立ち向かわなければならない。

例えて言えば、ハリーポッターが柱に激突する事で魔法世界に移動出来る様な。
逃げるのではなく、ぶつかることで抜ける。


知るということは恐怖にも幸福にもなり得る。
知ってしまったら、逃げてはいけない。
知ってしまったら、ただただ目を逸らさないということ。

解せるまで。
知ってしまった状態から抜けだせるまでずっと。

目を逸らさないことで得られるものは
ループから切り離された世界。

目を逸らさない人間程愛しいものはないし。

ところで、偉そうに私は誰なのかって、
私は何者でもないのだ。

そうやってアイデンティティを確立しようと躍起になるから
目がくらむんだなって思う。

だって、私は1人間でしかないってこと、
あなたも分かり切ってるでしょう。

アイデンティティなんかくそくらえだよ。
真摯に知ってしまったことに向き合うしかないよ。


追記:
「知ってしまった」って表現をしたけど
本当は知っているのに知らないふりをしてるから。

見たくないから知らなかったことにしてるものを
「知ってしまった」って表現にした。

知ったことは取り消せないからね。
だって、自分が死ぬってこと、全員知ってるし。