晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

狭間

「場」というものがある。

身体のどの器官が受信しているのか分からないが
確かに「場」を受信して
身体の中をゆらめきながら回り続ける。

彼は知らぬ内にわたしのどこかに滞在し、
わたしの中の何かを構成し始める。


「場」から離れた線上に身を置くとき、
彼がどこかから抜け落ちた感覚を
何と現せば良いのだろう。

繊細な場所を埋めるものがない空間に
爽やかな風を通らせたいという期待と、
得体の知れぬ何かが飛び込んできて
わたしの何かを支配されてしまうかもという
胸騒ぎが同居する。

彼が抜け落ちた輪郭を探りながら
初めて彼のかたちを恐る恐る確認する作業が
いつもたまらなく苦しくて愛しくて、
定義できないわたしの存在のあやうさを実感する。


大人になるというのは
そういう「場」から構成された
自分であって不意に自分でなくなるものを
半ば諦めながら赦すことであると思う。


「場」を失う一時的な空間ではいつも
彼を失った自分で生きていたくなるし、
きみにも失ってもらいたいと考えてしまう。

そういうわたしって、いけない人間だ。

それは「場」を赦すことではないし
つまり大人ではないと分かりながら、
そんなもの本当は要らないんだと
彼の居ないときだけ叫びたくなる。


丁寧に捲っていた小説本の薄茶色から
はっとした様に焦点をずらして
目頭の内側の筋肉が縮むのを静かに感じる。

本当はこんな本、
ぐちゃぐちゃに破いて
車窓の外の宇宙に撒いてしまいたい。


赦したくない。


それで破壊されてしまうのが大人なら
そんなもの、赦したくない。


体温よりちょっと高い体液が
目頭をつたう寸前に
唇の端を噛んで止める。

従順な子どもの様にきっちり止まる体液と、
止めてしまったわたしはつまらない大人だ。

噛んだ唇の端を少しゆるませ、
薄茶色に目を落として
また丁寧にページを捲る。


やっぱり、本当は。


考えかけたが、腕時計に視線を移す。
あと27分でまた彼がわたしを構成する。

赦したくないわたしを今だけは赦して。
どうせまた「場」はやってくるのだから。

この狭間でだけは、いけない大人でいたいの。