晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

犬笛とタイミングとラブレター

犬笛の存在

目に映るものを「現実100%」として受け取っている時、
「犬笛」について考えるという習慣を持っている。

単に脳ミソが低速回転であっても
理解しやすいから、というだけなのだが。


人間の耳で認知出来る音は精々20Hz〜20,000Hzだが
犬は〜50,000Hz、更にイルカは〜150,000Hz、
人には感知出来なくても他の動物には聞こえる音がいうのが存在するわけで。

人に聞こえない高周波は「超音波」と呼ばれるが
超音波が聞こえないからといって
それが存在するかしないかと言ったら「する」としか言えないわけ。

聞こえないものは感知出来ないから無関係ではなく、
低周波の聞こえない音の騒音によって
頭痛や体調不良が実際に起きるわけである。

感知出来ないものが現実ではないのか?と言われると
低速脳ミソでも
「それはぁあ、現実ではないと証明する事は不可能ですぅ…」
となり、

感知している現実100%が80%では、
いやいや、30%では、
いやいや、1%にも満たないのでは、という話になってくる。

とにかく視点の移動において
「犬笛」というのは
大変シンプルであり
低速脳ミソにも歓迎されるありがたい存在なのである。


タイミングという世界との邂逅

突然だが
わたしの価値観において人生において一番大切なものは

「タイミング」

という理論がある。


タイミングって通りの角で
食パンを口に挟んだ女の子とバッタリぶつかるなんていう
物理的な邂逅もあるが(ないか?)、

所謂「犬笛」的な
手では触れられないけれどその「瞬間」が明確な邂逅。


それって
「いやぁ、寝てたんですけど、
 後ろ手でボールをしっかりキャッチしてたんですよね」
みたいな圧倒的な「強さ」があって
見えてないのにしっかりキャッチしちゃった感がある。


でも結構、
「何そのミラクルプレイ」みたいなものを
現実100%脳で解釈してしまい

手をパンパンっと払って
「気のせいか、何もついてなかったや」
みたいな事になってしまう事があったりする。

それ、本当に避けたい。

一番大事なものをスルーしてるとか、
何それ人生の否定かな?という思考回路なので。

だから「犬笛」に回帰する。


聞こえないホイッスル

10年以上前のTBS系列昼ドラ、
愛の劇場で「ラブレター」という名作がある。

耳の聞こえない少女美波は愛する海司の声を聞きたいと願い、
海司は「お前のの耳になったる、何かあればこれを吹け」と
ホイッスルを渡すのですが。

彼女にとってはどんなに吹いても聞こえないホイッスル。



聞こえないものを吹いて、聞く事。

見えないボールを投げて、受け取る事。



決してそれは非現実的な話ではなくて、

わたしが「犬笛」を吹いたら犬はこっちを向くし、
美波がホイッスルを吹いたら海司は走ってくる。

現実なんですよね。

なんというか、
寧ろその方が比重としては大きい。


* * *


蛇足だが。

愛の劇場に死ぬほど影響を受けて育っているわたし。

特にラブレターには思い入れがある為
舞台となった瀬戸内や小豆島には
縁もゆかりもないのに泣きそうな位好きだし、

大好き!五つ子をご存知なら分かると思いますが
「それでは皆さんご一緒に!」と言われると
「いただきます!」と口走ってしまう。

改めて、愛の劇場に人生を塗りつぶされている。

おやすみなさい。