晝は夢 夜ぞうつつ

本と、夜の考えごと

言葉に込めた残り香

人と関わる上で、何より対話を大事にしたいと言いながら
声に出すとどこかへ行ってしまう事もある。

心の中にある想いは宇宙へ届く程の熱量があるのに、
それにそぐう言葉なんてどこにも見当たらなくて。

頭の中にある言葉のごった煮へ
腕を差し入れてぎゅっと掴んで取り出してみるのだけど
目の前に出してしまうと輝きを失っていく。

まばゆい黄色い輝きが気に入って手にとったのに、
目の前に出すとくすんだ灰色をしているんだから。

わたしの中に閉じ込めておかない為に、
輝きのない無難な顔した姿を直視しなくてはならなくなる。

言わなければよかったなぁ、なんて思うこともあるけれど。

それでも言わないといけなくて。
そして、言って欲しくて。

本当は言葉の意味なんてどうでも良くて、
その「のっぺり」した言葉のひとつひとつから、
心の残り香を丁寧に探す為の手がかりなんだ。


結局何が言いたいかって。

人って、何より高度な「受容体」だと思っている。
どうやって受け取るか。
何を受け取るか。

言葉の意味をそのまま解釈している様じゃ
国語辞典と同じじゃない。

人間なら、AIに出来ない受け取り方をしようよ。
人工知能の方が記憶力も分析力もいいに決まってるじゃない。

それが分かって幸せだよ、
わざわざ脆い身体で生きている意味を考えられる時代に生まれたのだから。

わたしは人の発する欠片が大好き。
人間はこんなに脆くて儚くて愛しくて、
必死に欠片を放出させている。

受容体なのに、受け取ることが出来る人間が少な過ぎると感じるの。

受け取ることが最大のGiftでしょう?

もう、その為に生きていると言っても
過言でもないかも知れないってふと思った。

だから、結局「対話がしたい」に行き着いてしまう。